2012年8月6日月曜日

新しい科学革命の時


 塩野七生さんの書いた「ルネサンスとは何であったか」と言う本の中に、「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人は、見たいと浴する現実しか見ていない」というユリウス・カエサルの言葉が紹介してあった。科学の世界も同じだと思う。

 手元の古い資料に面白い記事があったので、簡単に紹介する。
古い科学の世界、古いパラダイム(宇宙観)に属する科学者のグループは、同一の慣習、慣例、法則を好む。しかし、古い科学では解けない問題が出てくる。その時、なんとかして古い法則に従わせようとして、パズルを解く事になる。このようにして大部分の科学者がほとんどの時間をパズルを解いて過ごす事になる。

 オリンピックでは次々と世界新記録が更新されていくが、科学の世界ではそう簡単には行かない。新人科学者にとって、集団的知能封鎖を突破するのは大変なことである。新しいパラダイムは過去の知識の累積にはよらない。空想力、想像力に加えて、一種の霊感ともいうべきひらめきが必要である。そして、それは直感的であり、非論理的でもありえる。

 ある科学者(M.B.Hesse)はこう言っている。「観測事実に、原則として多かれ少なかれ適当に適合する理論は、無限にあり得る。」と。一般に真理と言われているものは、単に現代の専門家の間で一致した理論であるに過ぎない。

 新しいパラダイムは超多次元的であり、多くの場合、古いパラダイムに一つの次元が加わってゆく。すなわち、古いパラダイムを一次元高い観点より解釈できることが多い。

 先駆的な論文は、決まって厳密ではあり得ない。それゆえに、古いパラダイムの科学者から次のように言われる。空想的、無経験、無知、刺激的、定性的、主観的、思惑的、独断的、立証不可能、洗練されてない、こじつけ、ばからしい、神秘的、・・・と、きりがない。

 科学の進歩は、真理に向かって軍隊が堂々と行進して行くようなものではない。一群れの猟犬のようである。すなわち窮極的には獲物を捕まえるかも知れないが、途方にくれる犬とか、やかましくほえる犬や、やたらと走り回る犬もいる。

 私も、立派な軍隊の指揮官ではなく、一匹の犬となって新しいパラダイムへ向かって走りたいと思う。

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