2012年8月18日土曜日

霊界通信の可能性


 人間と霊界との関りは、全身の細胞一つ一つが関っていると思います。一つ一つの細胞が生かされていると言っても良いと思います。具体的には細胞は宇宙(霊界も含む)のエネルギーと連携していると思います。

 では、霊界との会話はどうなるのか・・・それは、人間の脳細胞の働きが関係していると思います。以下に、一冊の本を紹介した文章を参考のために引用しました。読んで頂きたいのは最後の一行です。やはり、私達の脳は本来霊界とも会話できる能力を持っているのだと思います。
 
 意識を集中するということは大変重要なことだと思います。また簡単なことではないと思います。この本の紹介の中に、様々な精神疾患のある人の例が書かれていますが、精神疾患故に常人には出来ない意識の集中が可能なのかも知れません。

では、このようなことを如何にすれば電子装置で補助できるでしょうか。それは未だわかっておりません。


右脳の天才 サヴァン症候群の謎

D. A. トレッファート(セント・アグネス病院) G. L. ウォレス(ロンドン精神医学研究所)

 レスリー・レムケは卓越した演奏家だ。14歳のとき,彼は数時間前にテレビで初めて聴いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をためらうことなく完璧に弾きこなしてしまった。レムケはそれまでピアノのレッスンを受けたことがなかったし、その後も1度も受けていない。

 彼は目が見えず、発達障害と脳性麻痺がある。しかし米国だけでなく海外のコンサートにも出演し、何千曲も演奏し歌っている。即興演奏や作曲も得意だ。

 リチャード・ワウロの絵は世界的に有名だ。元英国首相マーガレット・サッチャーや法王ヨハネ=パウロ2世らも彼の作品のコレクターとして知られている。ワウロがまだ子どもだった頃、ロンドンに住むある美術教師は、彼が描いた油性クレヨンの絵を見て雷に打たれたような衝撃を受けた。「機械工の正確さと詩人の想像力をもって描かれた途方もない作品でした」という。スコットランドに住むワウロは自閉症だ。

 キム・ピークはさながら歩く百科事典。7600冊以上の本を丸暗記していて、米国の都市や町をつなぐ幹線道路を空でいえる。すべての都市の市外局番、郵便番号、その都市をカバーするテレビ局や電話会社名も記憶している。

 だれかが自分の誕生日をいえば、それが何曜日だったか、そして定年を迎える65歳の誕生日は何曜日になるのかをたちどころに教えてくれる。またどんなに古い曲の題名も言い当てられる。しかも作曲された年月日、初演日、作曲者の生誕地に誕生日,死亡した日まで知っている。

 ピークにも発達障害があり、日常生活では父親に手助けしてもらわなければならないことが多い。1988年の映画『レインマン』で、ダスティン・ホフマンが演じたレイモンド・バビットという役柄は彼がモデルだ。

 レムケ、ワウロ、ピークは3人ともサヴァン症候群の患者だ。非常にめずらしい不思議な疾患で、患者は自閉症などのさまざまな発達障害をもつが、そうした精神的ハンディキャップにもかかわらず、驚異的な能力と才能を発揮する。

 サヴァン症候群は自閉症患者の10人にひとり,脳損傷患者あるいは知的障害者の2000人にひとりの割合でみられる。サヴァンと判明した患者のうち少なくとも半数は自閉症で,残りの半数にも他の発達障害がみられる。

 サヴァン症候群についてはまだ多くの謎が残されている。だが、脳の画像診断法の進歩により、疾病の全貌が明らかになってきた。長い間,大脳の左半球損傷説が唱えられてきたが、画像研究の結果はその説を裏付けている。

 さらに最近、一部の痴呆症患者にサヴァンに似た徴候が突然出現すると報告されたことから、すべての人の脳に天才的な才能がひそんでいる可能性も考えられるようになった。


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著者Darold A. Treffert / Gregory L.Wallace
トレッファートとウォレスは、ともに長年サヴァン症候群に関心をもってきた。トレッファートはウィスコンシン州フォンドゥラックにあるセント・アグネス病院の精神科医。初めてサヴァン患者に出会った1962年以来、自閉症とサヴァン症候群を研究してきた(メールアドレスはdtreffert@pol.net)。ウォレスはロンドン精神医学研究所の社会・発生・発達精神医学研究センターの客員研究員。彼は現在、自閉症患者にサヴァン技能がみられる確率が高い理由について研究している(メールアドレスはg.wallace@iop.kcl.ac.uk)。
原題名Islands of Genius(SCIENTIFIC AMERICAN June 2002)
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2012年8月15日水曜日

夜と星と月


 私の好きな星野道夫が言っている。「夜の世界は、いやおうなしに人間を謙虚にさせる。さまざまな生きもの、一本の木、森、そして風さえも魂をもって存在し、人間を見すえている。いつか聞いたアサバスカン・インディアンの神話。それは木々に囲まれた極北の夜の森の中で、神話を越え、声低く語りかけてくる。それは夜の闇からの呼びかけが、生命のもつ漠然とした不思議さを、真っすぐに伝えてくるからだろう。」

 彼は、アラスカの原野を一人で旅をしながら写真とエッセイを残した。ある時、夜の空をパイロットと2人でセスナで飛んだ。その時にこう言っている。「あたりの風景が動かないので、まるで私たちは夜という海に浮かんでいるようだった。山も川も森も、闇の中で世界はぼんやりとした輪郭にしか見えなかった。夜の森から呼びかけるフクロウのように、見えないというだけで、それはさまざまなことを語りかけてきた。私たちが言葉少なだったのは、きっとそのせいだった。生命は抽象的となり、すなわち根源的となった。」

 私たちは本当の夜を忘れているのではないだろうか。頭では絶対に何もいないと分かっていても、暗い所は恐ろしい・・・なぜ恐怖を感じるのだろう。恐怖の向こうに何があるのだろう。私は昔、奈良のあるお寺を訪問した時に地下の道に案内されたことがある。けっこう長い距離を真っ暗な中を進んだ。自分の手も見えない。すると突然、明るい部屋に出た。ローソクに照らされて何体かの仏像があった。その時の不思議な気持は何十年も経った今でも思い出す。

 「バラバ」という本の中にこのような場面がある。「彼女は目をぱっちりと開けていた。星が両目に映っていた。そして空を長くながめているとますます星の数が多くなってくるのは、いかにも不思議だと思った。家の中に住まなくなって以来、彼女はたくさんの星を見てきた・・・星はいったい何なのだろう ? 彼女は知らなかった。星はもちろん神が創ったものであったが、どんなものなのかは彼女は知らなかった・・・砂漠でも星はたくさんあった・・・それに山の上にも・・・ギルガルの山にも・・・でもあの夜はなかった。そう、あの夜はなかった。」ここで言う「あの夜」とはイエスが十字架にかかった日のことである。ちなみに、ラーゲルクヴィストはこの「バラバ」という短い小説で1951年にノーベル文学賞を受賞している。

 もし私たちが本当の星空を見ることができたなら、その時私たちは何を感じるだろうか。星空はそこにある。ただ、私たちがそれを見えなくしているだけである。

 ゲーテの「月に寄す」という詩は次の一節から始まる。
密やかに朧(おぼろ)な光で
今宵また茂みや谷を満たし、
やがては私の心をも
全てお前は解きほごしてくれる。

 ミハエル・エンデはこう言っている「ゲーテが親しく呼びかけた月と、あの2人の宇宙飛行士が歩き回った天体と同じ一つの天体でしょうか。」

 月は多くの人に親しまれて来た。私たちが子供のころは、ウサギが餅をついている・・・と思って月を見ていた。もちろん本気でウサギがいると思っていたわけではないが、それでもそう思いながらじっと月を見つめていた。今の子供達は何秒間じっと月を見るだろうか。あ、これは「月」だと思うだけでは数秒にもならないのではないだろうか。

 星野道夫の文の中にこのような言葉がある。「ぼくはザックをおろし、テルモスの熱いコーヒーをすすりながら、月光に浮かびあがった夜の氷河のまっただなかにいました。時おりどこかで崩壊する雪崩の他は、動くものも、音もありません。夜空は降るような星で、まるでまばたきをするような間隔で流れ星が落ちてゆきます。きっと情報があふれるような世の中で生きているぼくたちは、そんな世界が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。だからこんな場所に突然放り出されると、一体どうしていいのかうろたえてしまうのかも知れません。けれどもしばらくそこでじっとしていると、情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを少しずつ取り戻してきます。それはひとつの力というか、ぼくたちが忘れてしまっていた想像力のようなものです。」

都会に住む多くの人達は、夜をなくして星を見ることもなく、月を見ても心通わすすべを忘れている。私たちさえその気になれば、それらはすぐそこにあるのに。







2012年8月10日金曜日

科学はこれで良いのか


 私は以前からゲーテ(1747 -- 1832)に関心をもっている。多くの人はゲーテを偉大な文学者と思っているが、ゲーテは半生を自然研究に投入している。彼の思想も文学も実は、その研究から出て来たものだと私は考えている。当時は自然科学者という表現はまだなかった。ゲーテは自らを自然愛好家または自然研究者と称していたらしい。つまりゲーテにとっては自然を友とする人間が、自然を愛する対象としてよりよく知ろうとすることが即ち、自然研究であった。そして、自然を知るためには知的能力だけでなく、鋭敏な感性や豊かな想像力が大切だと考えていた。

 ゲーテの自然研究は全ての分野に及んだ。地質学、鉱物学でも多くの業績を残している。しかし、私が特に注目するのは1810年に完成した色彩論である。20年の歳月をかけて完成させた。ゲーテはこの著作が後世においてどのように評価さるかで世界の未来がかかっていると感じていた。彼が「色彩論」全三巻を「ファウスト」を含む自分の全ての著作の中で最も重視したことを知る人は少ない。

 その理由はこうである。当時はニュートン物理学万能の時代であった。しかも、産業革命のまっただ中であり、科学技術至上主義の時代であった。そして、彼は近代の発生を第一線で経験した人物でもある。7年戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオンの英雄時代と没落を生涯の間にみとどけたのである。

 当時の自然科学は経験論に導かれたものであった。そのイギリス経験論を打ち立てたフランシス・ベーコンはこう言っている。「悠々と自然と共に歩むのでなく、我々がつきまとい、術策をもって自然を悩ませ、それによって自然の秘密を白状させるべきだ。」自然を外側から操作し、自然を利用することこそ人間としてやるべきことだと言っているのである。自然を機械仕掛として理解し、人間は自然を自由に操作し、そこから価値を生み出すべきだ。F・ベーコンの言葉「知は力なり」、これが全てであった。

 さらにこのことは、聖書にもその根拠を求めている。旧約聖書によれば自然も人間も神の被造物である。そして、人間は「神の姿」に造られ、神の代理として万物の霊長だと言うのである。

 ゲーテはこの考え方に危機感を持った。このまま行くと、自然科学によって世界が崩壊すると感じたのである。ゲーテは自然も人間も神のもとに一体であると考えた。自然の質的側面を重視した。分析によって「死せる自然」となり果てる自然でなく、「生きた自然」それ自体を研究対象とするべきだと考えた。人間を排除するのでなく、全体として、人間が再発見されるような科学を考えた。科学に「価値観」を入れるべきだと主張した。

 ゲーテはこの危機感を世に示すためにファウストを書いたのではないだろうか。色彩論で言いたかったことをファウストで書いたのだと私は思う。だから、ファウストの冒頭にはこう書かれている。メフィストは神に言う「人間どもに理性など与えない方がよかった。そんなものがあるからどんな野獣よりももっと野獣になることに理性を使うのだ・・・。」と、そこで神は「ファウストを知っているか」とたずねる。そして、「彼はいまでこそ混沌としているが、やがては理性の正しさを知るだろう。」と言って、神はファウストをメフィストの手に委ねる。ファウストの生涯はまさに今の世界を象徴しているように思える。最後に、メフィストと手下の悪魔が墓穴を掘る音を、民衆のたゆまぬ鋤鍬の音だと勘違いしながら、老いた盲目のファウストは死ぬ。今の世界も「科学」が掘った墓穴に落ちて死ぬのだろうか。

 例えば、宇宙を一冊の本に例えれば、文字を読んで書かれている文章の意味を知ることが大切なのであって、紙質やインクの材料を調べることではないとゲーテは言いたいのだと思う。


2012年8月6日月曜日

新しい科学革命の時


 塩野七生さんの書いた「ルネサンスとは何であったか」と言う本の中に、「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人は、見たいと浴する現実しか見ていない」というユリウス・カエサルの言葉が紹介してあった。科学の世界も同じだと思う。

 手元の古い資料に面白い記事があったので、簡単に紹介する。
古い科学の世界、古いパラダイム(宇宙観)に属する科学者のグループは、同一の慣習、慣例、法則を好む。しかし、古い科学では解けない問題が出てくる。その時、なんとかして古い法則に従わせようとして、パズルを解く事になる。このようにして大部分の科学者がほとんどの時間をパズルを解いて過ごす事になる。

 オリンピックでは次々と世界新記録が更新されていくが、科学の世界ではそう簡単には行かない。新人科学者にとって、集団的知能封鎖を突破するのは大変なことである。新しいパラダイムは過去の知識の累積にはよらない。空想力、想像力に加えて、一種の霊感ともいうべきひらめきが必要である。そして、それは直感的であり、非論理的でもありえる。

 ある科学者(M.B.Hesse)はこう言っている。「観測事実に、原則として多かれ少なかれ適当に適合する理論は、無限にあり得る。」と。一般に真理と言われているものは、単に現代の専門家の間で一致した理論であるに過ぎない。

 新しいパラダイムは超多次元的であり、多くの場合、古いパラダイムに一つの次元が加わってゆく。すなわち、古いパラダイムを一次元高い観点より解釈できることが多い。

 先駆的な論文は、決まって厳密ではあり得ない。それゆえに、古いパラダイムの科学者から次のように言われる。空想的、無経験、無知、刺激的、定性的、主観的、思惑的、独断的、立証不可能、洗練されてない、こじつけ、ばからしい、神秘的、・・・と、きりがない。

 科学の進歩は、真理に向かって軍隊が堂々と行進して行くようなものではない。一群れの猟犬のようである。すなわち窮極的には獲物を捕まえるかも知れないが、途方にくれる犬とか、やかましくほえる犬や、やたらと走り回る犬もいる。

 私も、立派な軍隊の指揮官ではなく、一匹の犬となって新しいパラダイムへ向かって走りたいと思う。

2012年8月5日日曜日

質量と力


 質量の起源を説明できる粒子が発見されたかもしれないと世界中が騒いでいる。しかし、質量というものの定義そのものがおかしい。「動きにくさ」だと説明している。ヒッグス機構とか言って、ヒッグス粒子がいっぱい詰まった空間があって、そこを粒子が進む時に衝突して進みにくいことで質量が与えられていると言うのである。その説明に「水の中は空気中より進みにくいでしょう。自分が重く感じるでしょう。これと同じです。」などと言っている人もいた。

 質量の定義はすでにある。E=m*c^2という定義がある。この定義のどこが不足なのだろう。問題はEであり、エネルギーの正体だと思う。この式は実に不思議な式なのである。この世では考えられない式なのである。この物理空間ではあり得ない式なのである。それを本当に分かっている人が少ないのではないだろうか。この式は質量から膨大なエネルギーが取り出せるとだけ言っているのではない。簡単に言えば、動かないものがエネルギーを持っていると言っている。これは今日のいかなる物理法則にも当てはまらない。

 自然科学研究機構の佐藤博士はヒッグス場でなく、真空の相転移と見ておられる。相転移が何を意味するのか私には理解できないが、すくなくとも、ヒッグス機構の説明よりも希望を感じる。ヒッグス粒子の存在が真空のエネルギー、ダークエナジーとどう関係しているかに関心があるというIPMU機構長の村山博士の意見に同感である。

 質量も大切だが、もう一つ大切な問題が未解決である。「力」の問題である。「引力」、「電磁気力」、「強い力」、「弱い力」の四つの力によってこの世界が形作られている。アインシュタインの最後の夢は引力と電磁気力の統一であった。しかし、その試みは成功しなかった。我々の身近な力の正体は重力以外は電磁気力だと言って良い。電気を使う力以外にも、ひもで引っ張ったり、手で押したり、我々が走ったり、飛行機が空を飛んだりする力は皆、原子レベルで見れば電磁気力が元になっている。

 原子レベル以下の素粒子の世界になると、重力や電磁気力とはことなる2つの基本的な力が存在することがわかっている。それが「強い力」「弱い力」と言う。何かへんな名前だが、これが正式な固有名詞なのだ。

 我々の体を本当に最後の最後まで行けば、何になるのか。それは「アップクォーク」と「ダウンクォーク」と「電子」の三種類の素粒子になることがわかっている。万物全てがこの三種類の素粒子から出来ている。これが最終的な物質粒子なのである。ちなみにクォークは電子の1000倍以上の質量があるので、我々の体重はクォークの総重量だと考えて良い。いま、問題になっているのは、そのクォークの質量がどこから来たのかと言うことなのである。

 クオークと電子によって、物質は作られているのだが、そのクォークとクォークを結びつける力が「強い力」である。「強い力」にはクォークを結びつける力以外に、原子核を作る力がある。(この核力の解明でノーベル賞を受けたのが湯川博士である。)「弱い力」は電子などと関係している。

 ここまで来ると、非常に難しく私の手におえないのであるが、素人でも不思議に思う事がある。力の正体は何なのか、と言うことである。いま言われている通り言えば次のようになる。
重力     重力子(質量ゼロ)未発見
電磁気力   光子(質量ゼロ)
強い力    グルーオン(質量ゼロ)
弱い力    ウィークボソン(陽子の100倍の質量)
 今日の量子力学ではこれらの粒子をキャッチボールして、それぞれの粒子が互いに力を及ぼし合っていると言うのである。

 ここまで来ると私には理解できない。キャッチボールしてどうして引き合う力が出るのか・・・・? 反発力ならわからないでもない。しかし、質量ゼロのボールを投げても反作用は起こらない。勝ってなことを言わせて頂ければ、私は力は質量と同様に異次元のエネルギーと何か密接な関係があるのではないかと思う。質量も力も共に共通の原因を持っているのではないか。


2012年8月2日木曜日

新粒子発見に関するコメント


以下の内容は、私がニュートンという月刊誌からタイプしました。難しい内容も多いですが、まずはそのままタイプしました。先生方のお考えがわかって参考になると思います。すでにノーベル賞を受賞された先生方はどういうわけかお祝いの言葉程度ですが・・・佐藤博士や村山博士は詳しく話しておられます。佐藤博士の話の中に「物質粒子」という言葉があります。我々は粒子と聞くと、当然それは「物質」としての粒子だと考えます。しかし、ヒッグス粒子はそうではないのです。ですから、「粒子」という言葉を使うこと自体がすでに限界に来ているのだと思います。なにしろ、真空の中にぎっしり詰まっていると言うのですから。さらに、佐藤博士の言葉の中に、「真空の相移転」と言う言葉があります。これは表現は違いますが「異次元」と言っても良いような内容ではないかと思います。
いままさに、天動説から地動説、ニュートン理論から相対性理論へ変わった以上のパラダイム(世界観)の変化が起ころうとしているのだと思います。新しい酒は新しい革袋に、の聖句のようにいま新しい言葉が必要だと思います。


南部陽一郎博士
シカゴ大学名誉教授
「対称性の自発的な破れ」に関する業績で2008年にノーベル賞受賞

「ヒッグス粒子とみられる新粒子」の発見に対する率直な感想をお聞かせ下さい。

LHCがつくられた主な目的の一つは、標準モデルの中のヒッグス粒子を検証することでした。今回発見された新しい粒子が、本当にヒッグス粒子であるとはまだ言えませんが、大きな成果であり、めでたしめでたしです。

今後の物理学の発展にとって、今回の発見はどのような影響があると思われますか。

1960年ごろ、次から次へと新しい粒子が発見され、その結果、標準モデルが作りあげられました。歴史はくりかえされます。今回の新粒子発見に続き、同じようなことがまたおき、物理学が飛躍することを期待しています。

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小林誠博士
高エネルギー加速器研究機構 特別栄誉教授
「CP対称性の破れ」に関する業績で2008年にノーベル賞受賞

「ヒッグス粒子とみられる新粒子」の発見に対する率直な感想をお聞かせ下さい。

物理学者達が長い間さがしてきた粒子であり、やっとみつかったと言うのが率直な感想です。実験グループの長い努力が実り、みつかってよかったと思います。

今後の物理学の発展にとって、今回の発見はどのような影響があると思われますか。

標準モデルの最後の未発見粒子であり、これが発見されると、歴史的な意義は大きいと言えます。このことに加えて、その先に、まだ新しい何かがあるのではないかと考えています。たとえばヒッグス粒子の種類が複数あるかどうか。あるいはほかの素粒子との結合の強さなど、ヒッグス粒子の性質をもっとくわしく調べて行く事で、新しい理論の方向性やヒントが見えてくる可能性があります。物理学は、新たな段階に入ったと言えるでしょう。

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益川敏英博士
京都産業大学教授
「CP対称性の破れ」に関する業績で2008年にノーベル賞受賞

「ヒッグス粒子とみられる新粒子」の発見に対する率直な感想をお聞かせ下さい。

あるべきものがあったのだな、という印象です。もし見つからなかったら、大事になります。研究者にとっては、そちらのほうがやりがいがあっておもしろかったというのが本音ではありますが。

今後の物理学の発展にとって、今回の発見はどのような影響があると思われますか。

現時点では、まだ未知数と言えます。物理学の発展の歴史をふりかえると、大きな発見があった場合、必ずそれに付随していろいろなものがみつかってきました。今回の発見によって、物理学は飛躍すると思います。続報に期待したいですね。予測よりも、ヒッグス粒子とみられる粒子の質量が比較的軽かったので、このことが何を意味するのかということが重要となるでしょう。

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佐藤勝彦博士
自然科学研究機構 機構長

「ヒッグス粒子とみられる新粒子」の発見に対する率直な感想をお聞かせ下さい。

今回の発見がヒッグスの発見ならば、長い間待ち続けていた発見であり、理論物理学の大きな成果です。ただし、ヒッグス粒子の発見は質量の起源を説明する「場」の発見とばかり報道されていますが、宇宙論的には、「真空の相移転」という概念の裏付けが得られたということで、この方がより重要なのではないでしょうか。南部先生の「対称性の自発的な破れ」を、別の表現であらわしたのがヒッグス場です。私やアラン・グース博士が提唱した元祖インフレーション理論は、大統一理論でのヒッグス場によって、インフレーション(宇宙初期の急激な空間の膨張)が引き起こされるというものでした。インフレーションを引き起こす場についての理論は現在混沌としていますが、真空のエネルギーが高い状態から低い状態にころがり落ちることによってひきおこされることにはかわりありません。ヒッグスの発見は、インフレーション理論に支持を与えるものだともいえます。いずれにせよこの発見は「真空の相移転」という概念を大きく支持するもので、宇宙論的意義は大きいと言えるのではないでしょうか。

今後の物理学の発展にとって、今回の発見はどのような影響があると思われますか。

ヒッグス粒子の発見はこれまで存在が知られている物質粒子(クォークやレプトン)や力を媒介する粒子(光子など)ではない、新しいタイプの基本粒子、「スカラー粒子」の発見であり意義は大きいです。インフレーションを引き起こす「インフラトン」も、現在の宇宙を満たし空間の加速膨張を引き起こしている「ダークエナジー」も、ともに正体不明ですが、現象的にはスカラー場によるものと考えられています。両者を結ぶ理論の展開が期待されているのではないでしょうか。
また、LHCのもう一つの目的である超対称性粒子が発見されたなら、自然界に存在する基本的な四つの力(電磁気力、強い力、弱い力、重力)をすべて含んだ超大統一理論の構築にも、新たな展開が期待できるのではないでしょうか。

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村山斉博士
東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構(IPMU)機構長

「ヒッグス粒子とみられる新粒子」の発見に対する率直な感想をお聞かせ下さい。

たいへん興奮しています。そもそも、「電磁気力」、「強い力」と私たちの理解が進んで来たのは、それぞれ半世紀がかりの仕事でした。いまやっと「弱い力」の理解に進もうとしていることがはっきりし、1世紀に2回しかないような大きなステップだと言えます。歴史の重みを感じます。
また、ヒッグス博士の1964年の予言を確かめるため、1984年から計画がスタートし、2001年にLHCの建設を開始、そして2012年のいま、やっとここまで来ました。実験物理学の努力の結晶でもあります。この瞬間に居合わせることができて、物理学者冥利につきます。

今後の物理学の発展にとって、今回の発見はどのような影響があると思われますか。

ヒッグス粒子はそもそも標準モデルの異端児で、唯一スピンを持たない素粒子です。ですからヒッグス粒子が発見されると、標準モデルを完成させるという一つ「終わり」であると同時に、まったく新しい種類の素粒子のグループの「はじまり」だと私は考えます。「なぜこんな特殊な粒子が存在するのか」、「なぜそれが宇宙につまっているのか」、「真空とはいったい何なのか」、「真空のエネルギー、ダークエネルギーとどう関係しているのか」と言った深い疑問が続々と出て来ます。今後の素粒子物理学がますます面白くなると考えます。
そのため、今回みつかった粒子がほんとうに「標準モデルで予言される」ヒッグス粒子であるのか、また若干ちがった性質をもつのか、特定していく必要があります。当然LHCで研究を進め、いずれILC(計画中の全長30Kmの直線状の加速器)などで決定的な精度での実験が必要になってくると思います。