2012年8月15日水曜日

夜と星と月


 私の好きな星野道夫が言っている。「夜の世界は、いやおうなしに人間を謙虚にさせる。さまざまな生きもの、一本の木、森、そして風さえも魂をもって存在し、人間を見すえている。いつか聞いたアサバスカン・インディアンの神話。それは木々に囲まれた極北の夜の森の中で、神話を越え、声低く語りかけてくる。それは夜の闇からの呼びかけが、生命のもつ漠然とした不思議さを、真っすぐに伝えてくるからだろう。」

 彼は、アラスカの原野を一人で旅をしながら写真とエッセイを残した。ある時、夜の空をパイロットと2人でセスナで飛んだ。その時にこう言っている。「あたりの風景が動かないので、まるで私たちは夜という海に浮かんでいるようだった。山も川も森も、闇の中で世界はぼんやりとした輪郭にしか見えなかった。夜の森から呼びかけるフクロウのように、見えないというだけで、それはさまざまなことを語りかけてきた。私たちが言葉少なだったのは、きっとそのせいだった。生命は抽象的となり、すなわち根源的となった。」

 私たちは本当の夜を忘れているのではないだろうか。頭では絶対に何もいないと分かっていても、暗い所は恐ろしい・・・なぜ恐怖を感じるのだろう。恐怖の向こうに何があるのだろう。私は昔、奈良のあるお寺を訪問した時に地下の道に案内されたことがある。けっこう長い距離を真っ暗な中を進んだ。自分の手も見えない。すると突然、明るい部屋に出た。ローソクに照らされて何体かの仏像があった。その時の不思議な気持は何十年も経った今でも思い出す。

 「バラバ」という本の中にこのような場面がある。「彼女は目をぱっちりと開けていた。星が両目に映っていた。そして空を長くながめているとますます星の数が多くなってくるのは、いかにも不思議だと思った。家の中に住まなくなって以来、彼女はたくさんの星を見てきた・・・星はいったい何なのだろう ? 彼女は知らなかった。星はもちろん神が創ったものであったが、どんなものなのかは彼女は知らなかった・・・砂漠でも星はたくさんあった・・・それに山の上にも・・・ギルガルの山にも・・・でもあの夜はなかった。そう、あの夜はなかった。」ここで言う「あの夜」とはイエスが十字架にかかった日のことである。ちなみに、ラーゲルクヴィストはこの「バラバ」という短い小説で1951年にノーベル文学賞を受賞している。

 もし私たちが本当の星空を見ることができたなら、その時私たちは何を感じるだろうか。星空はそこにある。ただ、私たちがそれを見えなくしているだけである。

 ゲーテの「月に寄す」という詩は次の一節から始まる。
密やかに朧(おぼろ)な光で
今宵また茂みや谷を満たし、
やがては私の心をも
全てお前は解きほごしてくれる。

 ミハエル・エンデはこう言っている「ゲーテが親しく呼びかけた月と、あの2人の宇宙飛行士が歩き回った天体と同じ一つの天体でしょうか。」

 月は多くの人に親しまれて来た。私たちが子供のころは、ウサギが餅をついている・・・と思って月を見ていた。もちろん本気でウサギがいると思っていたわけではないが、それでもそう思いながらじっと月を見つめていた。今の子供達は何秒間じっと月を見るだろうか。あ、これは「月」だと思うだけでは数秒にもならないのではないだろうか。

 星野道夫の文の中にこのような言葉がある。「ぼくはザックをおろし、テルモスの熱いコーヒーをすすりながら、月光に浮かびあがった夜の氷河のまっただなかにいました。時おりどこかで崩壊する雪崩の他は、動くものも、音もありません。夜空は降るような星で、まるでまばたきをするような間隔で流れ星が落ちてゆきます。きっと情報があふれるような世の中で生きているぼくたちは、そんな世界が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。だからこんな場所に突然放り出されると、一体どうしていいのかうろたえてしまうのかも知れません。けれどもしばらくそこでじっとしていると、情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを少しずつ取り戻してきます。それはひとつの力というか、ぼくたちが忘れてしまっていた想像力のようなものです。」

都会に住む多くの人達は、夜をなくして星を見ることもなく、月を見ても心通わすすべを忘れている。私たちさえその気になれば、それらはすぐそこにあるのに。







2 件のコメント:

  1. 「夜と星と月」拝見しました。
    星野道夫氏やゲーテの言葉を通して、身近に見える物(今回は星や月)の背後に目に見えない神秘性に触れる感性を養うことによって、生き方の幅が広がり人生を豊かにする事ができると改めて感じました。
    ところで、霊界通信機の開発、研究の方はいかがですか?ブログに現状を伝えて頂ければ幸いです。
    よろしく

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  2. fujitaさんコメントありがとう。
    「霊界通信の可能性」を書きました。忠和研究所としては、霊的能力のある人と共同研究できるように、様々な機会を通して心がけています。

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