2013年10月18日金曜日

異次元の存在の意味

 ヒッグス粒子が発見されたと言って、その粒子の存在を予見したヒッグス氏他2名がノーベル賞を受けることになった。今日の新聞報道には次のように書かれていた。

 「現代物理学では、ビッグバンで宇宙が生まれた瞬間、素粒子は質量を持たず、光の速度で飛び回っていたと考えられている。直後に素粒子が質量を得て動きが鈍り、物質に満ちた今の宇宙となった。アングレール氏はその仕組みを最初に提唱。ヒッグス氏はその仕組みの主役「ヒッグス粒子」の存在を予想した。2人は1964年、別々に論文を発表した。予想に基づき、欧州合同原子核研究機関(CERN)の大型加速器LHCで実験が続けられた。CERNは今年3月、「ヒッグス粒子の発見はほぼ確実になった」と発表。これで、基本粒子がすべて出そろい、物理学の標準理論が完成した。実験には多くの日本人研究者が参加した。」

 この記事を読んで多くの人は不思議に思わないだろうか。ビッグバンで宇宙が生まれたという表現も問題であるが、最初に質量を持ってなかった素粒子とは一体なんだろうかと。質量を持ってない素粒子の存在を物理学はなぜ認めているのか。

 実は、素粒子を研究して来た現代物理学は、全ての素粒子の重さがゼロというとんでもない結果になっていた。電子など全ての素粒子の性質を完璧に知った後に、その数式の結論が質量ゼロというものだったのである。全ての素粒子の質量がゼロなら、全ての存在の質量はゼロであり、そもそも存在などと言えるものは何もなくなる。現代物理学は明らかに現実と矛盾した結論に悩んでいた。全ての物質の有り様を解明し、科学技術の基礎を築いた、100年の歴史を持つ量子力学の結論が「全ての物質の質量はゼロである。」というとんでもないものだったのである。

 この問題に対して解決の道を開いたのが、南部陽一郎博士である。数式では質量ゼロという結論が出ても、それは数式の間違いではない。量子力学の基礎が間違っているのではない、別の理由から質量が発生しえると説明した。「自発的対称性の破れ」という理論を発表して、2008年にノーベル賞物理学賞を受賞した。

 しかし、自発的に・・・と言われても何故そうなるのか誰も説明できなかった。提唱した南部博士自身もそのように考えればうまく説明できることは示しても「何故」には答えることが出来なかった。その時に、ヒッグス博士が宇宙は何か未知の粒子で満たされているのではないかと言い出したのである。その粒子の存在が自発的対称性の破れを引き起こすのではないかと提唱した。粒子と言っても、ここにあって一個二個と数えられるようなものでなく、空間を満たしていると言ったのである。 だからヒッグス粒子を探すと言っても、飛行機からサハラ砂漠にビー玉を一個落としてそれを探すというようなものではない。びっしりと我々の周辺を埋め尽くしていると言うのである。

 ここで、少し余談になるが空間という概念について少し説明したい。物質は原子で構成されていることは誰もが知っている。その原子の中心には原子核があって周囲には電子がある。では、その原子核と電子の間はどうなっているか。ここで原子の直径を100mとすると、原子核の大きさは約1mmしかない。原子を野球場に例えれば、原子核はピッチャーの足下の砂粒程度なのである。そして、太陽の大きさを1mmと仮定すると、太陽系で一番遠い冥王星ですら、太陽を中心として4.3mの距離しか描けない。原子核に一番近い電子でも、原子核から50mの距離なのである。原子の内部には、なんと太陽系よりも大きな空間が広がっているのである。ヒッグス粒子がびっしりと埋め尽くしているという空間はこの空間である。ちなみに、原子がそうなのだからその原子で構成されている我々の体や万物は全てがすけすけの空間なのである。

では、どのようにしてヒッグス粒子を見つけたと言ったのか。何か特殊な顕微鏡で見たのではない。例えば、お寺の鐘をつくと「ご〜ん」と音がする。我々はその音を聞くと鐘を想像することが出来る。それと同じように、原子の中の空間を打ったのである。すると、何か予想しなかった反応があったので、それをヒッグス粒子だと言っているのである。常識的には他の何かではないかと言いたくなるが、そこは専門家達が巨大な装置と巨額の資金を投入して何百人もの博士達がやったことなので、今は「そうですか」としか言えない。

現代物理学にはもっと重大な問題が未解決なまま残っている。それ次第では、「自発的対称性の破れ」やヒッグス粒子なども無意味とは言わないまでも、それほど本質的な意味は持ってないと言われるようになるかも知れない。今回のノーベル物理学賞は粒子時代との別れの儀式なのかも知れない。

それは、アインシュタインの一般相対性理論と量子力学の標準理論を統一した統一理論に関する問題である。アインシュタインは生涯をかけて一般相対性理論と電磁気の理論の統一を目指した。しかし、果たせなかった。その後、電磁気力だけでなく、量子力学の発展によって「強い力」「弱い力」の存在がわかり、一般相対性理論と量子力学の標準理論の統一が問題となった。

最初にこの問題を考えたのはロシアのマトベイ・ブロンスタイン(1906 --1938)であった。しかし、ブロンシュタインは31歳にしてスターリンの秘密警察に逮捕され、銃殺されて非業の死を遂げた。その後も多くのノーベル賞学者がこの問題に挑戦したがことごとく失敗した。そして、この問題を扱う者は人生を棒に振るようなものだと言われるようになった。そして、半世紀ものあいだ現代物理学の世界は暗い雲に覆われたままなのである。

一般相対性理論は宇宙の問題を正確に説明している。量子論は微粒子の世界を正確に説明している。ともに間違いなく正しい。しかし、この二つの理論を統一しようとすると誰も出来なかったのである。

大きな転機が訪れたのは、1974年である。プリンストン高等研究所で知り合ったジョン・シュワルツ博士とフランスから来たジョエル・シャーク博士の2人である。彼らは1968年にイタリアのガブリエール・ベネチアーノが提案した弦理論を研究所していた。それは、200年以上も前にレオンハルト・オイラーによって示されたガンマー関数が原子核内の強い力を表しているのではないかと言うものであった。そして、これは当時としては見捨てられた古い考えであった。シュワルツ博士は弦理論を研究して、それが重力を表しているのではないかと気付いた。それを超弦理論として発表した。しかし、この時は誰も見向きもしなかった。

超弦理論というのは、物質の最小単位は粒子ではなく「ひも」であり、その「ひも」の大きさは電子の一兆分の一のまた一兆分の一以下だと言うのである。電子一個を太陽系のサイズに拡大しても、「ひも」は我々の身長くらいにしかならない。しかも、超弦理論はこの世界が10次元でないと成立しなかった。そんな実証できないことを言う奴は追い出してしまえ‼︎ というのが当時の物理学会の空気だった。

1984年に決定的な転機が訪れた。ケンブリッジ大学のマイケル・グリーン博士とシュワルツ博士は、「そもそもこの世界が4次元だという証明はない。数式が10次元だと言っているのだから我々の常識の方が間違っているのかもしれない。」と考えた。そして、ついに超弦理論の式からアインシュタインの一般相対性理論と量子論の式を矛盾なく導き出すことに成功したのである。それは奇跡とも言えるものであった。超弦理論に何か神秘的な真実が隠されていることを示していた。

物理学者達は雪崩を打って超弦理論の研究に夢中になった。しかし、またしても大きな落とし穴が待っていた。研究者が増えたのは良かったが、その結果として超弦理論に5つの種類が生じる結果となった。こんなものが統一理論であるはずがないと、超弦理論の研究をあきらめる者も出た。

この問題を解決したのはプリンストン高等研究所のエドワード・ウィッテン博士だった。彼は1995年に、5つの式は同じものであることを証明した。ところが、新しいその理論によれば、この世界は超弦理論の言う10次元でなく、11次元だと言うことになる。それはM理論と呼ばれている。

さらに超弦理論はホーキングパラドックスを解決した。ホーキングパラドックスとは、ブラックホールの中の熱に関する問題である。ブラックホールの中心では全ての粒子は身動き出来ないにも関わらず何故熱が発生するのかという問題である。ホーキング博士はこの問題を解く式はないとまで言い切っていた。

しかし、超弦理論によってブラックホールの中心では異次元での振動が熱としてこの次元に発生しているのではないかと考えた。そして計算によってブラックホール内部の熱を導き出すことに成功したのである。2004年にホーキング博士はその事実を認めた。ホーキングパラドックスは偉大な思考実験であった。この問題が存在したおかげで超弦理論の正しさが証明されたと言っても良い。

以前は、異次元の存在を言う者は変わり者だと思われていた。しかし、今は違う。多くの物理学者達が異次元の存在を証明しようと日夜競争している。ヒッグス粒子の次は異次元の証明が目標となっている。

今日、粒子と言われている全てのものは、電子の一兆分の一のまた一兆分の一の「ひも」と言われるものが持つエネルギーの違いによるものである。そのエネルギーの元は異次元に存在していると考えられている。言い換えれば、異次元のエネルギーがそれぞれ形となって、粒子としてこの世界に現れているのである。

従来の方法で超弦理論の正しさを実証することは難しいかも知れない。それを理由にして超弦理論を否定する人もまだいる。しかし、正に聖書に書かれているように(マタイ伝9章17節)「新しいぶどう酒を古い皮袋にいれれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまう・・・」。超弦理論を従来の方法で検証しようとするのは間違いだと思う。

超弦理論の言う「ひも」を見つけようとするのでなく、そして「ひも」が見つからないから超弦理論は間違いだなどと言うのではなく、超弦理論の言わんとすることにもっと耳を傾けるべきだと思う。数式という文字で書かれた文章の意味を考えるべきである。文字のインクを研究して、文字の存在を確実なものにしても、書かれた文章の意味はわからない。

異次元の世界は間違いなく存在する。そして、それはどこかにあるのでなく、我々がその異次元の真っ只中にいるのだと思う。そして偉大なことは、我々はそれを意識していると言うことである。我々は宇宙船地球号に住む人間としての共通性をもっと認識するべきである。宗派を超えて、人種を越えて、国境を越えて、我々は一つになることが出来る。超弦理論(M理論)の数式の完璧なまでの美しさはそのことを示しているのではないだろうか。アインシュタインが生きていたらきっとそう言うと思う。

2012年8月18日土曜日

霊界通信の可能性


 人間と霊界との関りは、全身の細胞一つ一つが関っていると思います。一つ一つの細胞が生かされていると言っても良いと思います。具体的には細胞は宇宙(霊界も含む)のエネルギーと連携していると思います。

 では、霊界との会話はどうなるのか・・・それは、人間の脳細胞の働きが関係していると思います。以下に、一冊の本を紹介した文章を参考のために引用しました。読んで頂きたいのは最後の一行です。やはり、私達の脳は本来霊界とも会話できる能力を持っているのだと思います。
 
 意識を集中するということは大変重要なことだと思います。また簡単なことではないと思います。この本の紹介の中に、様々な精神疾患のある人の例が書かれていますが、精神疾患故に常人には出来ない意識の集中が可能なのかも知れません。

では、このようなことを如何にすれば電子装置で補助できるでしょうか。それは未だわかっておりません。


右脳の天才 サヴァン症候群の謎

D. A. トレッファート(セント・アグネス病院) G. L. ウォレス(ロンドン精神医学研究所)

 レスリー・レムケは卓越した演奏家だ。14歳のとき,彼は数時間前にテレビで初めて聴いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をためらうことなく完璧に弾きこなしてしまった。レムケはそれまでピアノのレッスンを受けたことがなかったし、その後も1度も受けていない。

 彼は目が見えず、発達障害と脳性麻痺がある。しかし米国だけでなく海外のコンサートにも出演し、何千曲も演奏し歌っている。即興演奏や作曲も得意だ。

 リチャード・ワウロの絵は世界的に有名だ。元英国首相マーガレット・サッチャーや法王ヨハネ=パウロ2世らも彼の作品のコレクターとして知られている。ワウロがまだ子どもだった頃、ロンドンに住むある美術教師は、彼が描いた油性クレヨンの絵を見て雷に打たれたような衝撃を受けた。「機械工の正確さと詩人の想像力をもって描かれた途方もない作品でした」という。スコットランドに住むワウロは自閉症だ。

 キム・ピークはさながら歩く百科事典。7600冊以上の本を丸暗記していて、米国の都市や町をつなぐ幹線道路を空でいえる。すべての都市の市外局番、郵便番号、その都市をカバーするテレビ局や電話会社名も記憶している。

 だれかが自分の誕生日をいえば、それが何曜日だったか、そして定年を迎える65歳の誕生日は何曜日になるのかをたちどころに教えてくれる。またどんなに古い曲の題名も言い当てられる。しかも作曲された年月日、初演日、作曲者の生誕地に誕生日,死亡した日まで知っている。

 ピークにも発達障害があり、日常生活では父親に手助けしてもらわなければならないことが多い。1988年の映画『レインマン』で、ダスティン・ホフマンが演じたレイモンド・バビットという役柄は彼がモデルだ。

 レムケ、ワウロ、ピークは3人ともサヴァン症候群の患者だ。非常にめずらしい不思議な疾患で、患者は自閉症などのさまざまな発達障害をもつが、そうした精神的ハンディキャップにもかかわらず、驚異的な能力と才能を発揮する。

 サヴァン症候群は自閉症患者の10人にひとり,脳損傷患者あるいは知的障害者の2000人にひとりの割合でみられる。サヴァンと判明した患者のうち少なくとも半数は自閉症で,残りの半数にも他の発達障害がみられる。

 サヴァン症候群についてはまだ多くの謎が残されている。だが、脳の画像診断法の進歩により、疾病の全貌が明らかになってきた。長い間,大脳の左半球損傷説が唱えられてきたが、画像研究の結果はその説を裏付けている。

 さらに最近、一部の痴呆症患者にサヴァンに似た徴候が突然出現すると報告されたことから、すべての人の脳に天才的な才能がひそんでいる可能性も考えられるようになった。


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著者Darold A. Treffert / Gregory L.Wallace
トレッファートとウォレスは、ともに長年サヴァン症候群に関心をもってきた。トレッファートはウィスコンシン州フォンドゥラックにあるセント・アグネス病院の精神科医。初めてサヴァン患者に出会った1962年以来、自閉症とサヴァン症候群を研究してきた(メールアドレスはdtreffert@pol.net)。ウォレスはロンドン精神医学研究所の社会・発生・発達精神医学研究センターの客員研究員。彼は現在、自閉症患者にサヴァン技能がみられる確率が高い理由について研究している(メールアドレスはg.wallace@iop.kcl.ac.uk)。
原題名Islands of Genius(SCIENTIFIC AMERICAN June 2002)
サイト内の関連記事を読むウイリアムズ症候群/サヴァン症候群/精神医学/脳/自閉症

2012年8月15日水曜日

夜と星と月


 私の好きな星野道夫が言っている。「夜の世界は、いやおうなしに人間を謙虚にさせる。さまざまな生きもの、一本の木、森、そして風さえも魂をもって存在し、人間を見すえている。いつか聞いたアサバスカン・インディアンの神話。それは木々に囲まれた極北の夜の森の中で、神話を越え、声低く語りかけてくる。それは夜の闇からの呼びかけが、生命のもつ漠然とした不思議さを、真っすぐに伝えてくるからだろう。」

 彼は、アラスカの原野を一人で旅をしながら写真とエッセイを残した。ある時、夜の空をパイロットと2人でセスナで飛んだ。その時にこう言っている。「あたりの風景が動かないので、まるで私たちは夜という海に浮かんでいるようだった。山も川も森も、闇の中で世界はぼんやりとした輪郭にしか見えなかった。夜の森から呼びかけるフクロウのように、見えないというだけで、それはさまざまなことを語りかけてきた。私たちが言葉少なだったのは、きっとそのせいだった。生命は抽象的となり、すなわち根源的となった。」

 私たちは本当の夜を忘れているのではないだろうか。頭では絶対に何もいないと分かっていても、暗い所は恐ろしい・・・なぜ恐怖を感じるのだろう。恐怖の向こうに何があるのだろう。私は昔、奈良のあるお寺を訪問した時に地下の道に案内されたことがある。けっこう長い距離を真っ暗な中を進んだ。自分の手も見えない。すると突然、明るい部屋に出た。ローソクに照らされて何体かの仏像があった。その時の不思議な気持は何十年も経った今でも思い出す。

 「バラバ」という本の中にこのような場面がある。「彼女は目をぱっちりと開けていた。星が両目に映っていた。そして空を長くながめているとますます星の数が多くなってくるのは、いかにも不思議だと思った。家の中に住まなくなって以来、彼女はたくさんの星を見てきた・・・星はいったい何なのだろう ? 彼女は知らなかった。星はもちろん神が創ったものであったが、どんなものなのかは彼女は知らなかった・・・砂漠でも星はたくさんあった・・・それに山の上にも・・・ギルガルの山にも・・・でもあの夜はなかった。そう、あの夜はなかった。」ここで言う「あの夜」とはイエスが十字架にかかった日のことである。ちなみに、ラーゲルクヴィストはこの「バラバ」という短い小説で1951年にノーベル文学賞を受賞している。

 もし私たちが本当の星空を見ることができたなら、その時私たちは何を感じるだろうか。星空はそこにある。ただ、私たちがそれを見えなくしているだけである。

 ゲーテの「月に寄す」という詩は次の一節から始まる。
密やかに朧(おぼろ)な光で
今宵また茂みや谷を満たし、
やがては私の心をも
全てお前は解きほごしてくれる。

 ミハエル・エンデはこう言っている「ゲーテが親しく呼びかけた月と、あの2人の宇宙飛行士が歩き回った天体と同じ一つの天体でしょうか。」

 月は多くの人に親しまれて来た。私たちが子供のころは、ウサギが餅をついている・・・と思って月を見ていた。もちろん本気でウサギがいると思っていたわけではないが、それでもそう思いながらじっと月を見つめていた。今の子供達は何秒間じっと月を見るだろうか。あ、これは「月」だと思うだけでは数秒にもならないのではないだろうか。

 星野道夫の文の中にこのような言葉がある。「ぼくはザックをおろし、テルモスの熱いコーヒーをすすりながら、月光に浮かびあがった夜の氷河のまっただなかにいました。時おりどこかで崩壊する雪崩の他は、動くものも、音もありません。夜空は降るような星で、まるでまばたきをするような間隔で流れ星が落ちてゆきます。きっと情報があふれるような世の中で生きているぼくたちは、そんな世界が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。だからこんな場所に突然放り出されると、一体どうしていいのかうろたえてしまうのかも知れません。けれどもしばらくそこでじっとしていると、情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを少しずつ取り戻してきます。それはひとつの力というか、ぼくたちが忘れてしまっていた想像力のようなものです。」

都会に住む多くの人達は、夜をなくして星を見ることもなく、月を見ても心通わすすべを忘れている。私たちさえその気になれば、それらはすぐそこにあるのに。